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劇場版レヴュースタァライト、観て良かった

 

シンエヴァのおまけ

先日、忙しさに一区切りがついたので映画を観たいなと思い、新特典が解禁されたシンエヴァとレヴュースタァライトを観てきました。レヴュースタァライトは元々当時TVアニメを観ており、好きだがどハマりするほどではないという距離感で、スタァライト単品だったらわざわざ見に行かなかったと思います。しかし、たまたま都合のいい時間に連続で見られそうなことが判明。慌てて前日にロンドロンドロンドという総集編(大嘘)を見て映画館へ向かいました。ちなみにぼくは舞台とアプリゲームはまったく追えてないです。

 

先述の通りスタァライトはあくまでおまけ、せっかくだから見ようの精神で観たのですがこれが本当に面白かったです。もし観てない人で、配信されてから観ようと思う程度に好きな人は映画館で観ることをおすすめします。映画館の良さ、何よりスマホも触れず画面に集中できることだと思うので。演出も素晴らしい上に話もきちんとTVアニメの続きから完結までを描いてくれています。

 

ここからネタバレあり

 

舞台少女の死

まず言及したいのは「皆殺しのレヴュー」です。レヴュースタァライトはTVアニメまではほとんど血生臭さはなく、撃ち合うけれど人は死なないし流血もしないガルパン形式でした。しかしながらそれはロンドロンドロンドのラストでひっくり返され、劇場版でも"血"や"死"を常に意識させる演出が多くなされていました。ぼくはこういう血生臭さを見るのに覚悟というか納得が必要なので、ロンドロンドロンドがなければ劇場版の突然の演出で多少ショックを受けていたと思います。

 

大場ななが好きです

さて皆殺しのレヴュー、題目からして物騒で異質さを感じました。形式はこれまでになかった1vs多。しかも1は99期生最強かつぼくの一番好きな大場ななです。大場ななの無双が確約されているのでわくわくしてしまいます。レヴューでは文字通り大場ななが皆殺しにし、天堂真矢さえも一瞬で打ち倒されてしまいました。状況を飲み込めない舞台少女の様子から露骨に格の差が描かれています。またこのときバナナが言った「これはオーディションじゃない」という言葉は劇場版全編を通して重要だと思います。このレヴューでバナナが勝利してもトップスターには近づけない。ただみんなの目を覚まさせるためだけのレヴューです。そしてトドメの「なんだか強いお酒を飲んだみたい」。かっこよすぎる!かわいい女の子が強いのはとても良いです。

 

この芝居じみた台詞に対し演技で返せる舞台少女はゼロ。天堂真矢はぎりぎり大場ななに喰らい付いていましたが台詞を返すまではできませんでした。そして純奈をはじめとする出血。真矢の言った「狼狽えるな。舞台装置だ」という言葉はおよそ舞台上での台詞ではありません。このあたりでスタァライトが"死"を感じさせる演出を増やしてきた意味をなんとなく感じました。おそらくTVアニメからロンドロンドロンドの話で一旦みんな舞台少女として死んでしまったのでしょう。「舞台少女の死」とはすなわち演じることを辞めるということ。よって大場ななのように最後まで演じきれる人がいない。どこか、普通の少女に戻ってしまった。だからこの映画は彼女らに一旦ケリを着けて、次に進ませる物語なのだと感じました。つまりは聖翔学園からの卒業です。

 

概念バトル

劇場版スタァライトは普通の映画と違って、整合性や伝わりやすさよりもメッセージ性を強く重要視しているように感じました。エヴァと同じ作りです。モチーフとして電車も出てきますし。劇場版スタァライトから感じたのは驕るな、諦めるな、満足するな、憧れろ、競えということ。それぞれのレヴューの敗因がこれらを示していると思います。ぼくの好きな考え方に「進歩を止めるのは停滞ではなく後退」というのがあります。ほんとはこれをもっと上手く表した言葉があったと思うのですが探せませんでした。そして劇場版スタァライトからはこの考え方を感じました。それまでに満足して満たされてしまうと舞台少女は死んでしまいます。大場ななは自分たちの死、後退を自覚させるために皆殺しのレヴューを実行したのだと思います。それにしても大場ななの立ち回りの理解は難しいです。永遠を求めるターンはTVアニメで終わったので劇場版では舞台少女を先に進めるために立ち回っていたとは思うのですが。

 

西条クロディーヌ好きになる

またロンドロンドロンドまでは何とも思っていなかったのに劇場版で好きになったキャラが西条クロディーヌです。なんとなく序盤からまひるや香子との絡みがあり今までよりも存在感がありました。そして中盤で双葉を新国立へ唆したことが発覚。このキャラ動きすぎじゃないですか?この焚き附けに悪意はなく純粋な応援の意味だと思いますが後半の悪魔のイメージとも被りますね。それまではどこか天堂真矢の引き立て役の印象が強かった彼女。TVアニメでも真矢には華恋を叩きのめす役割がありましたがクロディーヌはあまりスポットライトが当てられなかったように思われます。そんな彼女が2つ目の星を取り出す場面。レヴューのルールを根本から捻じ曲げる行為であり、真矢の本性を曝け出させるという強い衝撃があり、また手段を選ばないクロディーヌはかっこよかったです。

 

レヴューの演出

一つ一つのレヴューを取り上げることはしませんが、劇場版のレヴューの演出はTVアニメ版からさらにやりたい放題でど派手になっていました。特にまひるとひかりが衣装をスポーツ着に変えながら競技場を駆け回るシーン。キリンは舞台装置が勝手に少女を照らすことは説明していましたが、衣装に関しては説明がないので何の理屈もないシーンなんですよね。それでも殺陣の動きからシームレスにフェンシングやテニスに移行するのは見ていて面白さがあり、反面まひるの会話の内容はとても重要なものでギャップが気持ち良かったです。そこからホラー調に展開するのも面白く、ひかりを舞台少女として奮起させるのがまひるというのもTVアニメの成長を感じるところでした。

 

本作におけるレヴューはTVアニメで行われなかった組み合わせを見せるという意図が初めにあり、その上で99期生9人の物語を完結させるものでした。とするとあまりにも過不足のない組み合わせであり、むしろこのためにTVアニメでは消化不良の組み合わせや行われない組み合わせがあったのではないかと思うほどです。またその勝敗もこれまで焦点の当てられなかった側に傾いていたと思います。これはトップスターを目指す「オーディションじゃない」から起こり得たことです。本作のレヴューは本音でぶつかり合う場所なのだと思います。

 

まじで書く場所がなかったので一段落作りますが、バナナと純奈のレヴューの話です。「狩りのレヴュー」。ぼくは初め皆殺しと同じ文脈でバナナが狩る側だと思いました。しかしバナナは狩られる側。このレヴュー、あまり狩りの印象がなかったのですがどういう意味なんでしょうか。そしてこれが段落で一番言いたかったことですが、バナナの「がお」がかわいかったです。あのシーンBD出たらgifが作られそう。

 

愛城華恋

そして最後の愛城華恋の再生産です。過去、ひかりは一度舞台少女として死にかけたが、華恋の純粋に憧れる気持ちにより復活しました。今回はその逆です。ひかりの華恋と競いたい気持ちにより、華恋の過去の感情や経験、ひかりからの手紙も溶かして燃やして舞台少女として再生産されました。あそこで燃やしたものは華恋のすべてです。それをキリンが何度も言っていたように”燃料”として華恋を舞台まで運びました。普通の少女としての幸せを捨て、舞台少女として生きることを再度決めたシーンです。

 

総評

劇場版スタァライトはレヴュースタァライトの登場人物に一旦区切りをつけて次に進ませる物語だと感じました。そこに必要なのは驕らない、諦めない、満足しない、憧れる、競うということであり、成長し続けることが何よりのキラめきなのではないでしょうか。舞台少女にとっては舞台が終わる度に次の舞台を求めることが成長であり進歩です。おそらく彼女らのこの先がアニメで描かれることはないでしょう。しかしながらTVアニメ版で彼女らを死なさないためにも必要な劇場版だったと思います。TVアニメ版が綺麗に終わった作品の映画化は蛇足になることもありますが、ぼくは微塵もそうとは思わない劇場版でした。