先日、こんなツイートをしました。
本当は神になりたいけど、謙虚なので医者になりたいとか絵が上手くなりたいと言ってる
— 春屋はる (@hibikicolle) 2022年5月18日
この時はまだ本作を見ていなかったのですが、シン・ウルトラマンがかなり高位次元存在者と人間の友情のお話だったので、「神様になりたい」は「(シン・ウルトラマンにおける)ウルトラマンになりたい」と同義だと思います。ウルトラマンが神様でないと断言されたことについては後で触れます。
そもそもこの思想は『傷物語』で羽川翼の言った「人間より高位の存在に会いたい」というような台詞が元になっており、本作は傷物語における吸血鬼の立ち位置にウルトラマンが来たものと言えます。
余談ですが、僕のウルトラマン歴はガイア、ジード、オーブで、本作のモチーフになった世代のウルトラマンは見たことがないです。つまり浅め
高位次元存在者になることの良さは色々あると思います。本作でメフィラスが言っていた「生殺与奪の権を握る」のもその一つで、僕が感じているのはウルトラマンの言った「見守りたい」に近いと思います。本作では人間が群体であることが強調されており、個で完成したウルトラマンの対比されていました。
その上で、神永のように自己犠牲を厭わない個体もいれば、巨大化した浅見に劣情をぶつける動物的な個体もいます。さらに協力すればウルトラマンが敵わなかったゼットンに一矢報いることもできます。そんな群体を、干渉せずに見守るのはとても面白いと思います。「干渉せずに見守りたい」という気持ちは、ウルトラマンの「勝手に技術を発展させて申し訳ない」という言葉にも表れています。
ウルトラマンが高次元存在であるかは明言されていませんでしたが、ブレーンワールドを自由に行き来していたことから高次元存在と言って差し支えないでしょう。特に、神永が変身する時にウルトラマンが手のひらで覆うような描写は、この次元が高次元に包まれているというブレーンワールドの構造を示唆しているように見えました。たぶんあの後神永の肉体とウルトラマンの肉体が同化しているのでしょう。βボックスを奪取する時の腕の出方も「高次元からの干渉」を感じて良かったです。どちらもパロディやオマージュの可能性があるので語り過ぎないですが……。ザラブやメフィラスが扉関係なく空間に現れるのも高次元を感じられていいね(3次元空間は4次元の断面に過ぎないため)
本作で最も印象に残った台詞は「ウルトラマンは神ではなく、命をもった生命である」というものです。この言葉で、人類を守る存在だったウルトラマンが人間と対等に降りてきたように感じました。それはβボックス奪取で人類と協力した流れからきた台詞だと思います。そしてこの言葉が最初の神永の自己犠牲を経て、最後にウルトラマンが神永に命を与えたことに繋がるのだと思います。
米津玄師の『M八七』、僕は好きで映画を見る前からずっと聴いていました。ウルトラマンをほとんど見たことのない僕でも、米津/神永/人類から見たウルトラマンのことを歌っているのだと分かる歌詞が良く、その上でここまで米津さんらしくかっこいい歌詞になるんだなあと感心していました。
それが、映画を見終わった後に流れるM八七はウルトラマン視点の曲のように思えました。ひどく輝いて見えた遥か遠くの星は、人類から見たウルトラマンというよりも、ウルトラマンから見た神永/人類と考える方がしっくり来ます。また、ウルトラマンは強く望まれたから人類を助けたわけではなく、ある種の好奇心のような感情で助けたように思えます。強い望みに応えたのは、むしろゼットンを回避する手段を見つけ出した人類の側ではないでしょうか。どこまで想定された歌詞かは分かりませんが、エンドロールで流れるM八七はまったく違う感情で聴けました。
総括
ウルトラマン、元ネタなんも分からんので短めで焦点絞った感想でした。僕もウルトラマンになって人類の生み出す可能性を見てニヤニヤしたい!そんなところです。