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【十二国記】『月の影 影の海』、『魔性の子』

 『十二国記』シリーズの『月の影 影の海』と『魔性の子』を読みました。小野不由美さんの作品は、呪術廻戦のおまけページに紹介されていた『残穢』を読んでいます。文字で恐怖を感じる経験は初めてで面白かったです。ホラー映画は苦手なのですが、文体がとても好きで最後まで読むことができました。これまで読んだ小説の中でも深く印象に残っている作品です。

 

 前々から『十二国記』シリーズにも興味はあったので、読む本が少なくなってきたのを機に『月の影 影の海』を手に取りました。『魔性の子』がいわゆる0巻にあたるらしく、発売日順では1冊目、時系列順では月の影~の後に読むと良いそうです。僕は十二国記の世界観を知りたかったので、月の影を最初に読みました。

 

 

 

月の影 影の海

 

 後世の異世界転生作品を知っている自分からすると、十二国記の世界があまりにも陽子に厳しく、異質だと感じました。『月の影 影の海』は上下巻に分かれているのですが、上巻のうちは本当に救いがなく、そのおかげで下巻までスムーズに読むことになりました。初め、現代で起こるケイキとの出会いや日常からの乖離は異世界転生の醍醐味で、残穢と同じ作者ということを除いてもファンタジーとして興味を惹かれる展開でした。怪異について何の説明もなく不安感を煽られる様子は、ホラー小説にも通じるものがあるかもしれません。

 

 十二国が存在する異世界は中国風で、まるで西遊記のような世界観だと感じたのですが、実際、作者はファンタジーと聞いて西遊記を頭に浮かべながらこの作品を書いたようです。中国風なだけあって麒麟や虎、狒々など、他ではあまり見ない動物がたくさん出るのが好きです。よくある作品では、現実との違いとして「魔法」を出すと思うのですが、十二国記では今のところそれにあたる用語はなく、妖魔や妖獣、神獣が一番のファンタジー要素です。それでも異世界らしさがあって面白いのが新鮮で、すごさだと思います。

 

 妖魔が出ない場面、例えば平和な村や宿は現実世界となんら変わりません。しかし面白いのは世界の仕組みが根本から異なるからだと思います。十二国の世界には明確に神がおり、天使にあたる麒麟が存在します。そのせいか住人も運や天罰に関する価値観が根本から異なっており、会話の節々からそれを感じるので、平和な会話でも違和感が拭えません。麒麟という幻想的な存在に対して、そのシステムじみた役目など、十二国の世界全体に直観的な”気持ち悪さ”が漂っています。これについて、小野さんが書いたことを僕が意識しすぎなのか、作者の手のひらの上なのか分かりませんが、『十二国記』の好きな部分であり今後が気になる部分でもあります。

 

 また主人公の陽子も珍しい立場だと思っています。異世界転生した主人公が元の世界に帰るために行動するのはお約束ですが、陽子はもはや精神的に帰る場所をなくしています。もちろん、今後、王としての出番があるため、残る理由、帰らない理由が必要ではあるのですが、徹底的に帰る場所を潰される様子は悲痛でした。特に「母は子供を失ったことを悲しんでいて、陽子を失ったことを悲しんでいない」、というような科白はあまりにも酷かったです。そうした可能性を考えたことはなかったのですが、しかし腑に落ちる表現でした。人間不信の底を見た陽子が、それでも楽俊を信じられたのは、それが陽子の善性に他ならないからだと思います。『魔性の子』を読んだ今なら陽子が現実に馴染めなかった様子も納得できるので、十二国の世界で強く生きてほしいです。

 

魔性の子

 

 これは直接的に感想とは関係ないのですが、「大人しい主人公」、「それを守る白い腕の怪異」という2点が完全に呪術廻戦の乙骨でした。乙骨は連載前のキャラクターということもありますが、巷で言われる「BLEACH」や「HUNTER×HUNTER」以上にこの作品が呪術廻戦に与えた影響は大きいように思います。言ってしまえば、短篇であった東京都立呪術高等専門学校を呪術廻戦0巻の立ち位置にしたのは、『魔性の子』が『十二国記』の事実上0巻になったことから影響を受けているまであり得ます。呪術廻戦は好きな作品なので魔性の子を読めて良かったです。そもそも小野さんを知ったのは呪術廻戦なので廻っただけではありますが。

 

 魔性の子の序盤は上述のように乙骨がフラッシュバックしていましたが、中盤以降はかなり十二国記の用語が出てきて楽しくなってきました。僕は今回『月の影 影の海』を先に読んだのですが、『魔性の子』を先に読むべきという方々も同じくらいいました。その理由は読んでいると分かるのですが、かなり早い段階で高里=麒麟が察せてしまいます。本来は不明さから来る恐怖がメインだと思うのですが、種明かしをされたお化け屋敷のように、全力で違和感に浸かるのは難しくなってしまいます。一方で、先に十二国の世界観を知っていることで、ではなぜ泰麒が記憶を失くしたのか、白汕子や「き、を知りませんか」の女が何者なのか、半ばミステリー小説のように楽しむことができます。

 

 もう一人の主人公、広瀬は既知の十二国と現実世界を繋ぐ人物です。個人的には広瀬も何者かであってほしかったのですが、あの救いのなさは新天地に旅立った高里よりもある意味悲惨でした。しかし、高里が約束を呼びかける終わり方は美しかったです。今後、出番はないかもしれませんが、何かあの世界で生きる理由を見つけられたらと思います。終盤は居場所のある高里への八つ当たりが目立ちましたが、高里を保護した優しさは下心のない本心だと思います。個人的に好きなポイントは、一連の事件が偶然ではなく、広瀬の赴任から連続した事故だったことです。広瀬が来たことで高里の噂が築城から橋上に漏れ、それが雪だるま式に不運を呼び込んでしまいました。こうした物語の中のご都合に理屈があると、得はなくとも少し嬉しいです。

 

 本来、『魔性の子』が先に世に出ているので順序が逆ですが、十二国の世界からこちらに来た高里は、現実から異世界転生した陽子と見事に対になっています。しかし、2人には「居場所のなさ」、「懐郷」が共通しています。その上、今読んでいる『風の海 迷宮の岸』では十二国の泰麒は十二国でも居場所のなさ、無力感を感じており、この辺りは十二国記全体を通したテーマなのだろうと感じています。このテーマから恐らく母がいない卵果の設定が生まれたのだと思います。天帝や麒麟もこうした価値観の延長で生まれたと思いますが、僕はよく分かっていないです。

 

まとめ

 

 以上で簡単な『月の影 影の海』、『魔性の子』の感想とします。僕の中で小説を読むことと、小説の感想を書くことは同じ箱に入るらしく、書く暇があったら続きが読みたいという気持ちがあります。それも、十二国記の魅力的で不気味で陰惨な世界観があるからだと思います。NHKでアニメ化もされているようなので機会があれば見たいです。むしろなぜこんなに魅力的な作品が一度しかアニメ化されていないのか不思議で、実写化までされていてもおかしくないと思ってしまいます。