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【楽しめた感想】オーズ10th 復活のコアメダル

ネタバレあり

 

 

 

仮面ライダーオーズ10周年記念作品!

僕は10年前の記憶があまりないので、高々6~7年記念くらいの感覚なのですが、自分の中では上位に入る好きな仮面ライダーです。好きな部分としては少し闇を抱えた明るい主人公、人外のバディ、ストーリー性、OP等々あり、平成ライダー全体を見ても面白い作品であり、50話かけて観る価値のある仮面ライダーだと思っています。

物語完結後も、平成ジェネレーションズFINALや仮面ライダージオウなど客演が多かった印象があります。役者さんもこの作品を大事にしているそうなので、個人的には10周年記念作品が作られることに大した驚きはありませんでした。

一番驚いたのは、公開後にfusetterを通して流れてくる感想が賛否両論激しかったことです。

 

 

 

 

 

 

事前譲歩

僕は「賛」でした。「これなら作らない方がよかった」のような、かなり強い感想も見かけましたが、僕はこの完結編を見られて良かったと思います。僕のこの評価に関する前提として、以下の3点があります。

 

1. 滅亡した世界とレジスタンスは受け入れる
2. アンクが復活する展開は映画でお馴染みだった
3. 仮面ライダー4号

 

1について、もはや見慣れた設定と光景なので、見終わった後には減点要素にはなりませんでした。まあ最初は「みんなこれにキレてるのかな」とは思いました。

 

2について、もはや見慣れた設定と光景なので、見終わった後には減点要素にはなりませんでした。もっと理屈があって復活した方が良いに越したことはないのですが、想像の余地のある描写であった、かつ今度は一時的な復活ではないので新鮮みはありました。

 

3について、もはや見慣れた設定と光景なので、見終わった後には減点要素にはなりませんでした。正直平成仮面ライダーにおける死はメタな視点から軽いと思います。これは続編可能性や客演可能性を左右するか?という視点からです。ストーリー上で火野映司が死ぬ意義に関しては、怒る人がいても仕方ないとは思います。僕は死ぬ意義を感じたので減点要素ではないです。また、「綺麗に終わらせた」という肯定的な感想について、僕はまだオーズの客演があり得ると感じているのでそれは言いません。

 

楽しめた感想

まず、純粋に当時の役者さんが10年経っても一目で登場人物だと分かる容姿で演技してくれたのが嬉しかったです。特に映司と伊達さんは放送当時そのままだったと感じます。映司、アンク、伊達、後藤だけでなく、鴻上社長や里中まで出てくれたのは懐かしさを感じるには十分でした。シリアスな本作においてオーズらしさを一身に担っていたと思います。

 

オリジナルグリードの「ゴーダ」は、映司の記憶をコピーして欲望の再現を目的にするという、10周年記念作品にピッタリな敵キャラでした。「歌は気にするな」も、洒落臭さこそあれ、ファンサービスではあったでしょう。ゴーダだからアンクに対してくねくねしているのかと思ったら、本物の映司の方がくねくねした呼びかけをしていて笑いました。もっと尺があればゴーダと和解するような展開もあり得たと思います。

 

映司の言動に違和感を覚えつつも、少し素直になったアンクやアイスの下りなど、ファンの嬉しい演出もあり、まんまと転がされました。感動の再開だと思っていた主人公が偽物で、本物は既に死んでいたという展開はショッキングでした。それに対してゴーダが憑依していることで命を繋ぐという泉兄の経験の応用や、それをさらに応用したアンクの憑依は熱い展開でした。憑依したまま生きることも出来たと思いますし、それを示唆していたように感じますが、映司がアンクを遠ざけたことには意味があるのでしょう。

 

アンク映司のタジャドルエタニティは最終回タジャドルと綺麗な対比になっておりかっこよかったです。消滅寸前の映司、それに応えるアンクの台詞、幻影となって加勢する映司、単純な裏返しの構図でしたが、映司が思いを託しアンクがそれを受ける形は最終回とは異なる見方が出来たと思います。最終回はアンクが満足して消滅し、映司には仲間や縁が重要なものだと示されました。それに対して本作では、映司のトラウマが再現の形で払拭され、アンクには未来が用意されました。特にアンクが何の偽りもない形で復活したことは、本作における重要なポイントだと思っています。

 

映司

映司の死は意味のあることだったでしょうか?映司は本作開始前の時間軸で既に死にかけていました。裏を返すと、本作は映司の死の間際を1時間かけて描いた作品と言えます。視聴者に映司の死と向き合わせ続ける作品なのに、最終的に死んでしまうわけです。不満の声も頷けます。

 

映司の死に関して言えば、僕は必要だったと思います。映司はどこか達観しており、自分の命よりも欲望を優先するようなキャラクターです。映司に対してアンクが「命を懸けるほどのことか」というような台詞を投げかけますが、本作の映司は”結果として”死んだのであり、自分と少女の命を天秤にかけたのではないと考えています。自己犠牲ではなく、手が届くから伸ばしただけ、という死に方はキャラクターとして一貫していると感じました。

 

おそらく狙いとしてはゴーダ映司の口から「死んだ」と語られていた少女が実は生きていた、という展開でメリーバッドエンドのバランスを取ったのだと思います。分からんでもない。

 

アンク

アンクの復活について、僕はゴーダが出たあたりから、「映司の『アンクを復活させたい』という願いに呼応してゴーダが復活させた」のだと考えていました。実際は全然違ったと言うか、解釈次第な描き方でした。アンクが復活した理屈付けよりも、死にかけて憑依された映司を通してアンクがどう変化するのかを重視したのでしょう。

 

映司は本編終了後も10年の間アンクの復活を目標に生きてきたのに対して、アンクは数度の目覚めこそあれ浦島太郎状態です。本作はそこで生じた10年のズレを補完する作品とも言えるでしょう。それを踏まえた上での「それがお前の望みなら」という台詞だと思います。

 

総評

いくつかの酷評を見た後に書き始めてしまったせいで、かなり言い訳チックな文章になりました。僕は復活のコアメダルを見て良かったと心から思いますし、アンクメインの続編があっても良いと思います。この記事を書いている中で、オーズに関してうろ覚えな点がいくつもあることに気づきました。オーズは好きな作品なのでまた見返したいと思います。