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ノクチルの再紹介

大きな個人コミュであるGRADを迎えた今、改めてノクチルの4人がどんなアイドルなのかを自分なりにまとめたい。できればそう書いた根拠もまとめたかったがコミュを読みなおすまでの時間は取れなかった。そのため主観、というかどういう視点で4人を見ているかというものになる

 

浅倉 透

ビジュアルの良さとカリスマ性に恵まれた高校2年生。常に自然体で、何か役割を演じたり振る舞ったりということをしない。また思い付いたことを思慮せずに口に出すため一歩間違えれば他人を傷つけると思う

にもかかわらず、少なくともノクチルの他3人がついてくる、クラスからも憧憬に近い目で見られる、スタッフからもいいねいいねと褒められる、など評価されることが多いカリスマ性を持つ。これに対して浅倉本人はあまりよく思っていない様子。申し訳なさに近いか。これはGRADを経て解決したので読んでほしい

また努力をあまりせずに生きてきており、一生懸命になったことがない。勘違いしてはいけないのが、努力をせずに上手くいってきたが成績がいいわけではないこと。「できる」ではないが「できているように見られる」。これも本人は悩んでいる様子。「のぼってものぼっても」というジャングルジムで表現されることが多い

プロデューサーと出会ったときはスカウトと分かると猛烈に拒否した。今では考えられないほど嫌そうなので見直すと面白い。おそらくこれまでもスカウトされることが多かったことが推測できる。しかし幼少期に出会っていたプロデューサーに手を引かれた経験から、プロデューサーに興味を持ってアイドルになった。上述のカリスマ性と合わせると、それまでは浅倉が先頭をふらふらと歩いてそこに他人がついてきていたが、プロデューサーは浅倉の前を進もうとしたのが興味深かったのだろうか

またプロデューサーに対しては共感者や共有者としての興味が近いと感じる。ジャングルジムのエピソードでも「一緒に登った」という事実が印象の大部分を占めている。というのも浅倉は孤独であることを示唆するような内容がたびたび出る。加えてその孤独は比較的肯定がちに描かれている。樋口、小糸、雛菜は浅倉にとっても大事な幼馴染であるが、浅倉の理解者にはなれない、というかなる必要がないのだろう

現在、浅倉はアイドルを「生きること」と言えるほど大事なものに感じている。これはアイドルがプロデューサーとの関係を繋ぎとめるものという役割だけでなく、浅倉が一生懸命になれるものになったということだろう。今後は、アイドルに一生懸命になった浅倉が、それではどういう風にファンに向き合うのかということが描かれるかもしれない

 

樋口 円香

冷笑的で辛辣、の皮を被った予防線張り自己評価低い高校2年生。加えて語彙のセンスが独特でポエミー、かつ自信がありそう。自称浅倉の唯一の理解者。ここで自称と書いたのは浅倉の項での理由

『さよなら、透明だった僕たち』というのは言い換えれば『さよなら、透明だった私の中の浅倉透』とできるかもしれない。それくらいノクチルの狂言回し的役割を持つ。浅倉が特別な人間でない、等身大の人間であることを分かっている。その上で浅倉についているのはカリスマのせいという皮肉な形かもしれない。

より道だが「浅倉にできて私にできないことはない」の考察をしたい。おそらく樋口円香の中では以下の論理が成り立っている

① 樋口円香は凡人である
② 樋口円香が浅倉透よりも優れている
③ 浅倉透は凡人に劣っている一般的な人である

樋口は浅倉が特別な目で見られることを良く思っていない。よって上の理屈を成立させるためだけに樋口はアイドルをしていると考えられる。なので「笑っておけばなんとかなる。アイドルって楽な商売」なんてことを言わざるを得ない。アイドルを高尚なものと認めてしまえばアイドルになった樋口および浅倉が凡人=透明な一般人という式が成り立たなくなるからだ。その後に続く「おかげで私みたいな素人でもやれるんですから」からも分かる

このように樋口の選択は浅倉を中心に回っており、アイドル以前からおそらくこれまでの幼馴染の関係を永遠に維持できればそれでいいと考えていただろう。初期のプロデューサーへの辛辣さもそこから来ている感情だと思われる。樋口からすればプロデューサーは「自分たちの関係を破壊しにきたもの」に等しい。しかしながら、浅倉と同じユニットでデビューできると聞いた段階で上記の可能性に気づいたのではないだろうか

また樋口は自身を凡人という位置においている自己評価の低さを持つ。これに関しては浅倉たちへの劣等感があるかもしれない。幼少期から付き合いの深い3人が、オーラ抜群、努力で成績トップ、自己肯定感お化け、とくれば自己評価も低くなるというものだ
ギンコ・ビローバTRUEコミュでの「ぐちゃぐちゃに引き裂かれてしまえばいいのに」というプロデューサーへの言葉がある。これには嫉妬の感情が込められているように感じた。この台詞の前まで樋口は比較的プロデューサーを褒めていた。プロデューサーは常に好青年であり続け、そこに下心は感じられない。純粋な気持ちでアイドルを応援できるプロデューサーに対して樋口は嫉妬もしくは憧れに近い感情を抱いたのではないだろうか

また樋口の特徴として「ミスター」や「もぎたて♡にーちゅ」に代表される語彙センスが挙げられる。最近のコミュでは過去の自分の発言をリフレインさせていたりと、樋口は自分のセンスに自信を持っているのでは?説が浮上しており面白い。なお個人的なベストポエムは「歯の浮くような台詞。ここは舞踏会ですか、王子様?」だ。この場面、樋口は間違いなくぶちキレているのにこの表現が出て来る瞬発力から”慣れ”を感じる。初期のコミュなためキャラぶれの一つだと感じていたが、気づけば時を経るにつれてその強度を増していた

現在の樋口にとって、アイドルは浅倉に対抗する手段ではなくなった様子がある。残念だが今の自分にはどのコミュがキーとなったか判別がついていないが、どこかのタイミングで明らかに樋口の考えが変化している。遡ればWINGコミュの終盤で既に変化したとも言えるが、天塵やその後のカードとの時系列が曖昧なので難しい

樋口に関しては今後解決すべき課題のようなものが見つからないが、言ってしまえばWINGで成長が完成しているため、その後のコミュはすべて芯の強度を上げるためのもののように感じる。GRADでは樋口の優しさと辛辣さが裏目に出るようなコミュで、樋口を叩いて強くする流れがこの先も続きそうだ

 

福丸小糸

よくいる自信なさげな子だが実はとても高いポテンシャルを持っている。公式から内弁慶と紹介されており、実際その通りだと思うが、どちらかというと内でも弁慶になり切れていない内地蔵の外地蔵かも

まず小糸にやりがちな勘違いとしてこういう自信なさげな努力家は他の子より劣っているから自己肯定感が低いのだろうというのがある。とくに浅倉のオーラもあるためシャニマスをやっていない人からは『才能のある3人と努力の1人』みたいな構図にされがちだろう

実際は3人より小糸が優れていることはあり得ても小糸が劣っているとは考えにくい。そもそも小糸は新入生代表挨拶を務めている。新入生代表はおそらく入試でトップの成績をとった生徒がやるのだろう。小糸が積極的に志願したとは考えにくい。

ではなぜ小糸の自己肯定感がこんなに低いのかと言うと他3人の振る舞いの影響が大きいだろう。まず浅倉は前述のとおり「できているように見られる」。小糸から見ても例外ではなく、結果として浅倉は努力をしていないのに出来ているように見える。自分の上位互換である。樋口は「努力を表に出さない」。結果として樋口は努力をしていないのに出来ているように見える。自分の上位互換である。雛菜は「なんでもそれなりにできる〜」

小糸のもつ問題点はノクチルの中でも最も分かりやすい。まず一つは自己評価が過剰に低いこと。「努力している自分はみんなより劣っている」という考えがなぜか根底にあるため結果が良くても過程を過大評価して良くないという結論に陥ってしまう。次に他人の欠点に目を向けないこと。粗探しとまでは行かないが他人に関しては良い所だけを見てしまうので他の人も失敗や努力をしているという考えに至っていない。これは限定pSSRでかなり話が進んだので読んでほしい

一方でノクチル全体の問題であるファンとの交流、アイドルとしての在り方に対しては小糸が最も先をいっている。すでにファン感謝祭の時点で最もアイドルらしい振る舞いをしていたのが小糸だろう。「裏での努力を隠して上手くできた表だけを見せる」というのはアイドルとファンの関係としては正しいのかもしれない。

正直GRADは小糸の再紹介といった要素が強く、進展のイメージはあまりない。何よりプロデューサーの振る舞いは最悪であった。その原因としてはやはりファン感謝祭で大きく一歩前進していたことがあるだろう。小糸自体の問題ではないが、福丸小糸について書けることが減ってきているのではないかという不安がある。先述の問題点も一つ目はかなり小糸の根幹に関わってしまうことだし、二つ目はかなり解決に近づいている。よってこれ以上小糸の成長が描かれることは少ないかもしれない

 

市川雛菜

自信家、相互不理解、高校1年生で悟りすぎ。挫折しない限り弱点という弱点が露呈しないと思われる。それなのに挫折しない程度の能力の高さと、求めすぎない諦観を合わせ持つので実際無敵。敬語とタメの使い分けが小気味いい

何よりオーディションでの自己紹介からして「特技~?なんでもそれなりにできる~」である。しかも「それなり」というのが大事で、理想論として目標を常に自分の能力より低く見積もれば挫折や失敗することはない。「なんでもそれなりにできる」という自己評価は高いが、高すぎない

次に思想が固まっている。雛菜の信念として「雛菜がしあわせなのが一番」というのがある。これは自己中心的かというと、そうである。もちろんそのために他人を不幸にするわけではないが、自分が不幸になる選択は絶対に選ばないであろうことが分かる。また辛い努力が嫌いである。これはしあわせじゃないから。では辛くない努力はというと、普通にレッスンをするしそれなりにパフォーマンスのことを自主的に考えたりする。このように雛菜は自分の中で線引きをしっかりと持っており、およそ高校1年生とは思えない信念がある。

雛菜の思想の異質さとしてある種の諦めの早さがある。これは割り切りとも言える。雛菜は上記のような雛菜の哲学を他者に理解される必要はないと考えている。初期の雛菜はプロデューサーに対してもそう考えており、「プロデューサーのこと好きかも~」とは言ってくれるが一定の距離感を常に置かれている。とりあえずWING編「Bitter×coffee」を読んでみてほしい。おそらく雛菜にとってほとんどの人とはこの間合いを保っている。それ以上深く踏み入ることは許さないし、代わりに雛菜から打ち明けたり踏み込むこともない。踏み込んだ相手は雛菜からの信頼を失うことになるだろう

雛菜が浅倉を信頼しているのは、浅倉がほとんど雛菜の思想に興味を示さなかったからだと考えられる。ノクチルでは雛菜が神奈川出身で他3人が東京都出身であること、および他3人は幼稚園からの幼馴染で雛菜は小学校からという言及があることから、すでにできていた3人の輪に後から雛菜が加入したことが推測できる。雛菜の哲学がどの段階で形成されたかは不明だが、もし当時から今の雛菜に近い考えであったなら、雛菜はあまり他人と深く関わろうとしないため浅倉たちのグループに近づくのには相当な理由があったはずだ。もちろん当時からの浅倉のオーラ、カリスマ性に惹かれたというのも一因だろう。だがそれ以上に雛菜の考えを否定せず、まったく踏み込まない浅倉を気に入ったのだろう

さて、浅倉と同じくらいの信頼を稼いでいるのがプロデューサーである。上記「Bitter×coffee」では「雛菜がソファを独占することを強めに叱る」、「雛菜がノクチルの他3人と違って自主練習していないことを尋ねる」、「雛菜がトレーナーに褒められたことを無視する」の3アウトで信頼が急降下したと思われる。そしてトドメの「(unknown)」において真正面から雛菜に踏み込んで説教してしまう。雛菜は別にプロデューサーが自分の考えを完璧に理解してくれるなんて期待していないので嫌いとは言っても無視したりはしない。割り切りができている。だがおそらく「協調性がない」と言われ慣れているのだろう。そして急降下した信頼関係の上でプロデューサーも今までそれを言ってきた大人と同じ枠だと判断したのかもしれない。

次のコミュ「take the cake!」ではそれらの誤解が解け、実際にプロデューサーが伝えたかったのは「その割り切りを捨ててみないか」ということだったと分かる。序盤に述べた目標の低さや諦観を持つには高校1年生では早すぎるというのが雛菜の持つ課題であろう。おそらく雛菜も意識的にこれらを設定しているため「そんなに雛菜のこと知ってるのか~」という言葉に繋がる。上記で雛菜に踏み込んだ相手は信頼を失うと書いたが、まったく踏み込まなかったのが浅倉透で、踏み込んだ上で本質を見抜き受け入れたのがプロデューサーになるだろう。雛菜の喜びようからこのような相手はこれまで少なかったか存在しなかったことが分かる。

雛菜について、【♡LOG】を所有していないため読めていないが、おそらくまだ雛菜が実力よりも圧倒的に高い壁に挑むコミュは描かれていない。GRADではそれが描かれるかと思ったが、どちらかというと雛菜の雛菜らしさを再確認するコミュで、進歩としてはファンとの関係の面が大きかった。雛菜は小糸に次いでファンとの交流をよく行っている。GRADでは雛菜よりも雛菜を大事に想うファンの存在に思いを寄せ、それがより「雛菜がしあわせなのが一番」を強固にした。一方で「ファンのために頑張る」というモチベーションは当然だがあまり見られない。つまり雛菜がファンに熱を与える一方で雛菜が受け取る熱量は小さく、一方向的だ。雛菜はモチベーションを自分で生み出せるため当然ではあるが、シャニマスがこれを「それでいい」とするか、掘り下げるか、興味深い

 

おわりに

総評として、ノクチルはファンがいなくても頑張れるアイドルに見える。これはプロデューサーに惹かれてアイドルになった浅倉と、浅倉に惹かれてアイドルになった3人によって構成されているユニットだから当然ではある。しかしながら、少しずつ全員がアイドルと向き合うことが増えてきた。なかでもGRADで浅倉がアイドルを続ける理由として「頑張りたい」というとても純粋な気持ちが加わったことに驚いた。主観ではあるが成長という面では浅倉、樋口、小糸はほとんど決着がついたと言えるだろう。これ以上は根幹を揺るがす可能性があり、その強度を上げるようなコミュになると思われる。注目したいのは雛菜である。シャニマスは雛菜のような考え方を是としている。近い考えを持つのは八宮めぐるだ。めぐるも他者への理解に半ば諦めを持っている。しかし、めぐるはその上で他者と深く関わろうとする。知ろうとする行為自体が尊いというのは「くもりガラスの銀曜日」でも描かれていた。雛菜がめぐるのような考えに変化することは必ずしも改善にはならない。他者へ踏み込まないことは他者の尊重にもなると考えるからである。完璧とは言えないが否定はできない雛菜のスタンスを今後シャニマスがどう扱うのか非常に楽しみである