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「とんでいっちゃいたいの」コミュを脳に染み付ける【デレステ】

 

 挨拶

みなさんは「とんでいっちゃいたいの」という曲がデレマスに存在することを知っていましたか?デレステを主としてプレイしている人の中には知らない人も多かったと思います。なぜならこの曲がリリースされたのは2017年!なんと4年前の夏です。とてもいい曲なのでぜひ聴いてください。6thライブで発売された志希ソロも聴いてください。

そしてとうとうデレステに「とんでいっちゃいたいの」が実装されました。季節曲はその季節に実装されるので、夏が来るたびに今年かな?今年かな?と期待しては秋を迎えていました。4年目ともなると半ば諦めていたので突然の実装には驚きました。

 

コミュ

既存曲がデレステに実装されると楽しみなのがMV、そしてコミュです。MVは個人的にステージで踊るものよりも「ミュージックビデオ」形式の方が好きなのでとても嬉しいです。空飛ぶくじらなど全体的に夢のような雰囲気でゆったりとした曲調にも合っています。

そしてコミュは志希にとって安定の「フレデリカ」と普段あまり接点のない「かな子」ということで、志希がどんな動きをするのかとても気になっていました。おそらくメンツ的にもゆるい話でしょう。正直、志希とフレデリカの話は「クレイジークレイジー」で一旦決着がついたので「とんでいっちゃいたいの」では軽めのわちゃわちゃで終わる無難コミュかなと思っていました。正直そこまでの期待はしないかなー、と

実際は軽めのわちゃわちゃなんてことはなく、かな子の優しさと包容力を生かしながらしっかりと志希とフレデリカの掘り下げをしてくれる良コミュでした。クレイジークレイジーでは2人の世界で収まってしまっている閉塞感があったので、かな子、ふじりな、とときんを絡めて広げてくれたのはとてもいい判断でした。どうしてもこの2人が真面目な話をすると感傷的になります、楽しい嘘が基本なので。

志希とフレデリカの失踪理由

今回のコミュのメインは以下の2つです

①志希、メイキング映像の撮影を拒否して失踪

②フレデリカ、思い出を記録にすることを拒否して失踪

志希の失踪はまあいつも通りでしたがフレデリカの失踪は意外性がありましたね。志希もフレデリカも失踪前から少し黙り込む描写があったのが丁寧でした。かな子と3人での対話シーン、まるで志希とフレデリカの失踪理由が同じように語られてましたがたぶん別物ですよね。どちらかというと珍しくセンチメンタルなフレデリカに志希が同調しているように見えます

志希の失踪理由をもっと詳しく言うと、カメラの前で演じたメイキングを残すことに意味を感じない、といったところでしょうか。必要な嘘ならなんでも許容するというわけではなく、あくまでも楽しいことが前提ですね。したがって退屈な嘘である演技したメイキング映像は撮りたくないということでしょう。

これに対してフレデリカの失踪理由はもっと根本的に、褪せる思い出を残したくない、ということでしょう。分かりやすく「永遠の否定」です。楽しい瞬間、その一瞬を大事にしたいという気持ちで、やはり志希とは違うと思います。とはいえ志希も「実験室が同じことの繰り返しで飽きた」と永遠を嫌う気持ちはある上、できるだけメイキング映像を撮らないという結果は共通してるので似た問題のように描かれています。

かな子による解決方法

さてではかな子が2人の問題をどう解決したのかと言うと、志希にはメイキングも楽しいことという提示、フレデリカには記録映像の無限性の提示です。志希が帰ってきた理由は分かりにくいですが、フレデリカの反応からしてもおそらくかな子とフレデリカ2人が話している場面を志希も聞いていたのでしょう。寝たフリをはじめとして盗み聴きは志希の鉄板です。そこでかな子は「志希ちゃんとのお仕事、一緒に楽しみたいから」「本撮影も、メイキングも、オフの時間も。」とフレデリカに語っています。志希は演技してのメイキングに価値はないと考えていましたが、かな子にはちゃんと大切な楽しいお仕事の一つでした。

そしてフレデリカに対しては「新しい楽しいを、何度でも見つけられるように。」と映像の撮影を提案しています。個人的な考えですが、「永遠」と「無限」は似ていますが明確に異なっていると思います。「永遠」という言葉には「停滞」や「繰り返し」のような、どこかマイナスなニュアンスが含まれています。永遠は打ち消しを伴って使われるのもこれに拍車をかけていますね。一方で「無限」は「限界が無い」という文字通りどこかポジティブな意味を持つのではないでしょうか。そこには「希望」や「可能性」に感じるポジティブさが近いと思います。

かな子の提案はまさにこの「無限」です。「何度でも」だけだと永遠を感じますが、「新しい楽しい」とすることで映像に記録することが必ずしも「停滞」を示すわけじゃないんだぞということを伝えています。これは一ノ瀬志希による「実験室」と「アイドル」の対比にも繋がりますね。実験室では同じことの繰り返しでしたが、アイドルという化学反応は何が起こるか分からない、と志希は述べています。かな子はメイキング映像の撮影は「実験室」ではなく「アイドル」だぞと言っているのです。

総評

ということで「とんでいっちゃいたいの」コミュは志希とフレデリカ両方に関連するテーマを扱ったコミュだと感じました。2人は難しい言い回しを好みますが、かな子は純粋でストレートな言葉で、それでいて根幹に関わるような諭し方をしてくれるのがとても良かったです。もう4年も経ってしまってぼくの中では消化戦の雰囲気がありましたが、意味のあるコミュにしてくれたことが嬉しかったです。このあたりの話は近々実装されるであろう5周目志希でもやると思っているので期待しています。きっとノワールフェス限です。楽しみにしましょう。